ドン・ノーマンの「活動中心デザイン(ACD)」をめぐって « IA Spectrum
この記事が素晴らしい問題提起でしたので。以下のようにコメントさせて頂きました(※現時点でコメント未承認のようで、コメント欄には掲載されていません)。
石橋秀仁 より:
2012/02/20 12:28
はじめまして。いつも有用なブログエントリをありがとうございます。
世界中の人々が同じ人工物(例えばiPhone)を使いやすい物として受け入れている現象は、人工物と人間との〈動物的〉な関わりとみなすことができます。大量生産によるスケールメリットの経済性は無視できませんから、文化の垣根を越えて世界中の多くの人々に受け入れられる「普遍的」なデザインを追求することはグローバル企業の自然な行動です。そこでは文化依存的な「人間中心デザイン(HCD)」よりも、文化依存度の低い「活動中心デザイン(ACD)」の手法が重要なのだとD.A.ノーマン氏は主張するわけですね。
ノーマン氏が人間中心デザインと活動中心デザインを対置するとき、私たちはそれを〈人間〉と〈動物〉の対置として理解することができます。その二つについて「どちらが正しいか」と問題設定するのは一元論的です。その結論としてどちらかが「正しい」となれば、もう一方は「正しく」ないので排除されます。しかし、それでいいのでしょうか?
人間と人工物の関わりは、あるときには〈動物的〉であり、またあるときには〈人間的〉です。どちらもあるのです。一元論によって片方を排除することは、デザイナーが人々の役に立つ人工物をデザインする可能性を自ら制限するようなものです。
私たちデザイナーは〈動物的デザイン〉と〈人間的デザイン〉の両方を様々な人工物によって使い分けたり、あるいは一つの人工物のなかにその両方を織り込んだりといった実践を試みることができます。柳宗理のワークショップ型デザイン手法からは、いかにも〈動物的〉(手に馴染む)でありつつも優れて〈人間的〉(愛着がわく)な人工物が生み出されました。柳宗理のなかで〈動物的〉な「活動中心デザイン」と〈人間的〉な「人間中心デザイン」は決して「二項対立」ではなく「二項並立」であったはずです。
追伸:問題提起した人が、フィードバックを自身でサマライズして再発信し、議論の文脈を自らつくり出していくという言論空間。うらやましく思います。どうすればこういう議論が日本・日本語圏の専門家同士でも可能なのでしょうか。個人的には間口を広げつつ問いかける形の情報発信を実践していくつもりです。
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